第7代リーヴェン伯爵および第6代メルヴィル伯爵アレクサンダー・レズリー=メルヴィル(英語: Alexander Leslie-Melville, 7th Earl of Leven, 6th Earl of Melville、出生名アレクサンダー・レズリー(Alexander Leslie)、1749年11月7日 – 1820年2月22日)は、スコットランドの貴族、政治家。1754年から1802年までバルゴニー卿の儀礼称号を使用した。
生涯
第6代リーヴェン伯爵および第5代メルヴィル伯爵デイヴィッド・レズリーとウィルヘルミナ・ニスベット(Wilhelmina Nisbet、1724年 – 1798年5月10日、ウィリアム・ニスベットの娘)の息子として、1749年11月7日に生まれた。1773年から1776年までグランド・ツアーをした。
1785年、スコットランド・キリスト教知識普及協会に入会した。
1786年から1820年までスコットランド税関監査官(Comptroller of the Customs)を、1794年にファイフ副統監を、1798年にファイフの民兵隊の中佐を、1806年から1807年までホイッグ党員としてスコットランド貴族代表議員を務めた。また、300ポンドの年金を受け取っていたという。
1802年6月9日に父が死去すると、リーヴェン伯爵とメルヴィル伯爵の爵位を継承した。リーヴェン伯爵とメルヴィル伯爵の称号を両方とも使用した人物は第7代リーヴェン伯爵がはじめてであり、その理由は1802年のメルヴィル子爵創設(ヘンリー・ダンダスへの叙爵)とされる。1805年には「メルヴィル」を姓に加えた。
1820年2月22日にメルヴィル・ハウスで死去、息子デイヴィッドが爵位を継承した。
家族
1784年8月12日、ジェーン・ソーントン(Jane Thornton、1757年2月11日 – 1818年2月13日、ジョン・ソーントンの娘)と結婚、5男3女をもうけた。
- デイヴィッド(1785年 – 1860年) - 第8代リーヴェン伯爵、第7代メルヴィル伯爵
- ジョン・ソーントン(1786年 – 1876年) - 第9代リーヴェン伯爵、第8代メルヴィル伯爵
- ウィリアム・ヘンリー(1788年 – 1856年) - イギリス東インド会社役員
- ロバート・サミュエル(1826年10月24日没)
- アレクサンダー(1800年6月18日 – 1881年11月19日) - 1825年10月19日、シャーロット・スミス(Charlotte Smith、1879年4月26日没、サミュエル・スミスの娘)と結婚、子供あり
- ルーシー(1865年12月23日没) - 1824年7月14日、ヘンリー・スミス(Henry Smith、1794年12月12日 – 1874年2月7日、サミュエル・スミスの息子)と結婚、子供あり
- ジェーン・エリザベス(1848年4月25日没) - 1816年10月13日、フランシス・ピム(Francis Pym、1790年6月22日 – 1860年2月23日、フランシス・ピムの息子)と結婚、子供あり
- メアリアン(Marianne、1823年3月22日没) - 1822年8月28日、アベル・スミス(1788年 – 1859年、サミュエル・スミスの息子)と結婚
注釈
出典




