吉興(きっこう)は中華民国・満州国の軍人・政治家。満洲族愛新覚羅氏で、皇族の出身。北京政府・奉天派の軍人となり、後に満州国に参加した。字は培之。
事績
日本に留学し、陸軍士官学校第8期砲兵科を卒業した。帰国後は、張作霖率いる奉天派の軍人として軍歴を重ねる。奉天省督軍公署少校参謀から始まり、1916年(民国5年)、鴨渾両江水上警察庁庁長に任命される。1918年(民国7年)、奉天軍総司令部参謀処処長兼第27師参謀長となった。1920年(民国9年)、黒竜江省砲兵団団長に異動する。翌年、吉林省督軍公署参議長兼省長公署参議となる。1924年(民国13年)、東北陸軍第13旅旅長兼延吉鎮守使に任ぜられた。1931年(民国20年)、延吉警備司令となる。
満州事変(九・一八事変)が勃発すると、吉興は煕洽に従って関東軍に与した。1932年(大同元年)3月9日に満州国が正式に成立した直後の14日に、吉林省警備司令官に任命されている。1934年(康徳元年)に陸軍上将位を授与され、同年7月21日、第2軍管区司令官に任命された。1941年(康徳8年)3月3日、勇退した張海鵬の後任として侍従武官処武官長に任ぜられる。1944年(康徳11年)4月24日、袁金鎧が病気辞任したことに伴い尚書府大臣に転じた。
満州国滅亡後、吉興はソ連軍に逮捕、連行された。中華人民共和国成立後の1950年7月31日に、身柄を引き渡され、撫順戦犯管理所に収監されている。1964年12月29日に実施された第5回戦犯特赦において、吉興は釈放された。その後の行方は不明である。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 王鴻賓ほか主編『東北人物大辞典 第2巻』遼寧古籍出版社、1996年。ISBN 7-80507-413-5。
- 外務省情報部『改訂 現代支那人名鑑』東亜同文会調査編纂部、1928年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4。




