拓跋 忠(たくばつ ちゅう、生没年不詳)は、北魏の皇族。城陽公。字は仙徳。
経歴
常山王拓跋素の子として生まれた。孝文帝のとき、右僕射に累進した。城陽公の爵位を受け、侍中・鎮西将軍の位を加えられた。480年(太和4年)、病のため引退し、病身を高柳で養った。諡は宣といった。
子女
17人の子があった。
- 元盛(字は始興、城陽公、謁者僕射)
- 元寿興
- 元益生
伝記資料
- 『魏書』巻15 列伝第3
- 『北史』巻15 列伝第3





拓跋 忠(たくばつ ちゅう、生没年不詳)は、北魏の皇族。城陽公。字は仙徳。
常山王拓跋素の子として生まれた。孝文帝のとき、右僕射に累進した。城陽公の爵位を受け、侍中・鎮西将軍の位を加えられた。480年(太和4年)、病のため引退し、病身を高柳で養った。諡は宣といった。
17人の子があった。




