パトリック・ニール・ドッドソン(Patrick Neal Dodson、1959年10月11日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。1989年に近鉄バファローズに所属した。
来歴・人物
1980年のMLBドラフト6巡目でボストン・レッドソックスに入団。1986年、メジャー初昇格。かつてカールトン・フィスクが付けていた背番号27を与えられ期待されていたが、メジャーでは3年で52試合の出場にとどまった。
1989年、近鉄バファローズに入団。前年に退団したベン・オグリビーの後釜として期待されたが、いざ来日すると192cm・100kgの巨体に似合わず左右に打ち分ける柔らかいバッティングで、大砲を欲しがっていた球団の思惑とは違う形となり、また金村義明の怪我の回復が思わしくなく、代わりとなる三塁手を求めていた球団は、シーズン開幕前に新外国人の獲得に動き出した。
開幕後、6~7番を打っていたドッドソンの成績は決して悪くなかったが、4月12日にハーマン・リベラが来日すると即二軍落ち。それでも退団せず、一軍からお呼びがかかるのを待ち続けていたが、チームが三つ巴の優勝争いを展開する中、ラルフ・ブライアントが本塁打を量産し、リベラも4番打者として勝負強さを発揮し続け、ドッドソンも二軍で48試合で打率.276、7本塁打と目立った成績を残せず、一軍登録が再度来ることのないままシーズンは終了し、同年限りで退団、帰国した。
引退後は教育者に転身し、オクラホマ州デラウェア郡グローブ市の中学校の校長を経て現在は同校の教育長を務めている。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1989年4月9日、対オリックス・ブレーブス1回戦(藤井寺球場)、6番・一塁手として先発出場、4打数2安打
- 初打席・初安打:同上、2回裏に佐藤義則から単打
- 初打点:1989年4月13日、対福岡ダイエーホークス3回戦(大阪スタヂアム)、4回裏に村田勝喜から右前適時打
背番号
- 27 (1986年 - 1988年)
- 25 (1989年)
関連項目
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Grove Middle School

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